天秤にのせる、のせない、のせるべきではない。

11月5日、ウクライナ支援イベント『わたしたちにいまできること』に参加した。

場所は秋田市の文化創造館。秋田の4大学が合同で主催し、展示と講演会、募金活動、学生討論会を行うという企画。
(ボルシチとピロシキの販売も)trunkメンバーの海さんとらいちゃんが運営スタッフで、イベントについて教えてもらったのだった。

ロシアとウクライナの現状について、ニュースで見る以上のことを調べる機会というのが無かったので有難かった。ラジオ配信も何かきっかけを無理やり作ってから調べて考えはじめるたちなので、こういう企画にはできる限り行きたいと思っている。
そして調べて、いつも「何もわかってなかった」と反省する

私は午前中仕事のため残念ながらボルシチとピロシキにはありつけず、泣きながら学生討論会に参加。
同じくtrunkのまりりんも来ていた。とりあえず涙をぬぐって挨拶をした。

「日本で難民を受け入れることに賛成か、反対か」

そういったテーマで学生さんとディスカッションした。
とてもおもしろかった。受け入れることでどういうメリット・デメリットがあるかとか色々な話をした。受け入れるとしても体制が整っていなければ来てもらっても辛いを想いをさせるだけなのでは、などなど。

議論をするのはとても大事だと思う。
ただ、議論をしてみて最終的に感じたのは「結局、天秤に載せることじゃないな」ということだった。
難民となる人は別に日本を選んできているわけじゃない。命の危機から逃れて、着の身着のまま日本に来ている。
自然災害、宗教上の問題、内戦、同性愛が刑罰の対象となるから……など理由は様々だけれど、それらの「差し迫った理由」を天秤の片方の皿に載せて、もう一方の皿に「日本側のデメリット・メリット」を載せるのは、なんだかおかしい気がする。

このことについて、ちょっとした既視感もある。
東京オリンピックだ。
あれも「命・人権」が天秤に載せられた出来事だったように思う。
もう一方の皿は「開催のメリット・デメリット」「国際的評価」「感動」だったか。
そんなものは、秤に載せる前におかしいと気付くべきなんじゃないだろうか。

そういえば、前にこんなショートショートも書いた。

すべて名垣育美のせい

きれいごとかもしれない。

これからも考え続けていこうと思う(考える機会を与えてくれたイベントに感謝!)
やっぱり何もわかっていなかった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です