ウルトラ・ライト・ダウン
日記をつけている。
かれこれもう6-7年ほど毎日何かしら書いている。
年末になり、日記を見返していると1月が何しろ大変だったことを思い出した。
父が亡くなった。
年始の山形出張から帰り、その後にtrunkの冊子編集と仕事でバタバタしているなかで、急に妹から連絡があった。
最期には立ち会えなかった。
病室には入れてもらえて、母に促されて手を握ったのを覚えている。
父はベッドに横たわっていた。目を閉じ、天井に向かって少しだけ口を開けていた。
父の手を握るなんていつぶりだろうと思って握ると、不思議とそれがたしかに子供の頃に握っていた「父の手」だという感覚があった。
すでに病院に駆けつけていた母は、私や姉や妹が到着する頃にはすっかり泣き終わっていた。
「いびきが聞こえないのが不思議だー」「ほんとに死んでるんだが?おーい」
と父に呼びかけつつ、笑顔のままでまたぽろぽろと涙をこぼしていた。
母が看護師さんに「葬式の前に髭を剃ってもいいか」と尋ねると、大丈夫ですが傷がついたら戻らないので注意してくださいと言われていた。
傷がついたらもう戻らない。
当たり前のことだけれど、そうか、戻らないのか、と思ったのを覚えている。
それから3日間、喪主として葬儀をこなした。
とはいえ、別に何か特別な仕事をこなしたわけではない。ほとんど姉と妹や町内の方々の手を借りた。こういう時に姉妹がいて、ああだこうだと話ができるというのはとても有難かった。自分の役割といえば、喪主挨拶とか、火葬場で点火スイッチを押したりとかその程度。
正直言って、父が亡くなったことはまだ半分くらい信じられていない。
一年が経とうとしているけれど……頭ではわかっているつもりだけれど。
「生きてるはず」と思っているのかといえば、もちろんそんなことではない。最近ではテレビを観ていて、父の亡くなった時の年齢以上の人が映っていると「どうして父はもういないんだろう」とまず思う。だから、もういないことはわかっている(つもりだ)。
適切なたとえではないのは百も承知で言うと、「腑に落ちない」「納得できない」ような感じが近い。コロナで面会もできないままでの別れになったことも関係しているのだろう。または、父がまだ60代前半で、何度も病気から回復していた過去があったことも。
来年もこれが続くのかもしれない。
あるいは、どこかで腑に落ちるのかもしれない。
私は今日もまた、父の遺したウルトラライトダウンを着て出勤した。とてもかるくてあたたかい。
今年の冬はこれで乗り切ろうと思う。



